巡る奈良

神話と伝説

1

一刀石いっとうせき

剣術の達人であった柳生宗厳(やぎゅうむねよし)は、剣豪・上泉信綱(かみいずみのぶつな)との勝負で敗れてしまいます。信綱の弟子となった宗厳は戸岩谷(といわだに)の山で三年間、天狗を相手に剣術修行を重ねました。ある夜、一刀のもとに天狗を切ったと思えば、天狗は消え、そばにあった大石がまっぷたつに割れていました。その石は「一刀石」といわれ、今も天狗の爪あとが残っているそうです。

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DATA

  • 奈良市柳生町
  • 0742-94-0002
  • 無し
  • 最寄り駅からの交通
      近鉄 奈良駅よりバス「柳生」下車 徒歩30分

2

飛火野とびひの

春日の大明神が夜半に鹿道(ろくどう)(大神が鹿を召されてお着きになった場所=春日大社神苑(しんえん) 萬葉植物園を少し西に下ったあたり)へ着いたとき、足元が暗いので、お供の八代尊(やしろのみこと)が口から火を出して道明かりとされ、その火が消えずに時々飛びまわったので、聖武天皇の時代に野守(のもり)を置いて守られたという話が伝わっています。

DATA

  • 奈良市高畑町
  • 近鉄奈良駅から徒歩約15分

3

鬼取山と髪切山おにとりやまとかみきりやま

写真:生駒山

役行者(えんのぎょうじゃ)は「大和の生駒(いこま)山に二匹の鬼がいる。人を捕って食うという。不動緊縛の法を以て鬼を捕え住民を救え。」と夢でお告げを受けます。行者は山に籠り、面前に現れた両鬼にその秘法を行うと、鬼共はたちまち身体がしびれ、歩くことも出来なくなりました。遂に両鬼は髪を切り、行者の弟子になることを誓いました。今もこの山を鬼取山といい、暗(くらがり)峠の西北にある髪切山は両鬼が髪を切ったところといわれています。 

DATA

  • 生駒市鬼取町
  • 鬼取山・・・奈良県生駒市鬼取町、近鉄生駒ケーブル生駒山上駅から徒歩
    髪切山・・・大阪府東大阪市東豊浦町髪切、近鉄枚岡駅から徒歩

奈良県神社庁より情報提供

写真:生駒山

4

矢落明神やおちみょうじん

写真:二之矢塚

饒速日命(にぎはやひのみこと)が天神から弓矢をたまわって、三本の矢を射て、その落ちたところに住まいを定めようとしました。すると三本の矢は全て同じ場所に落ち、「矢田(やた)」という地名の由来となったそうです。矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)の境内には「二の矢塚」があり、この神社は別名「矢落明神」とも呼ばれています。

DATA

  • 大和郡山市矢田町965
  • 近鉄郡山駅から小泉駅東口または矢田寺前行きバス「横山口」下車徒歩5分

奈良県神社庁より情報提供

写真:二之矢塚

5

十種神宝とくさのかむだから

饒速日命(にぎはやひのみこと)が天から降りるとき、死人も生き返る力が秘められたという鏡や剣などの十種類の神宝を天神から授かりました。ご神宝に守られた饒速日命は、巨大な天磐船(あまのいわふね)に乗り、無事に河内国に舞い降りたといいます。その後、饒速日命の子が神宝を使い、神武天皇と皇后の長寿を祈ったのが、宮中や石上神宮(いそのかみじんぐう)で毎年行われる「鎮魂祭(みたまふりのまつり)」の起源だと伝えられています。

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DATA

  • 天理市布留町384
  • 0743-62-0900
  • 御門内での参拝は日の出より日没まで
  • なし
  • 無料
  • 無料 200台
  • 最寄り駅からの交通
       JR・近鉄 天理駅
       苣原行きバス「石上神宮前」下車 徒歩7分

今後の行事・秘宝秘仏

榜示浚神事
10月1日(日)

花情報


3月下旬 ~ 4月中旬

6

面塚めんづか

提供:川西町総合政策課

昔、結崎清次(ゆうざきせいじ)という能楽師がいました。あるとき、京都で能楽の御前演奏が開かれることとなり、清次は糸井神社へ日参して成功を祈願しました。するとある日、天から能面とネギの一束が塚に降る夢をみました。夢に教えられてこの塚へ来てみると、実際に面とネギが落ちていました。清次はその面をかむって御前演奏に出たところ、首尾良くお誉めの言葉をいただきました。この塚は面塚と呼ばれ、ネギは結崎根深(ゆうざきねぶか)と呼ばれて大和国中に広まりました。

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DATA

  • 磯城郡川西町結崎
  • 最寄り駅からの交通
      近鉄 結崎駅 西1.1km(寺川堤防)

提供:川西町総合政策課

7

三輪の由来みわのゆらい

美和山(みわやま)(いまの三輪山(みわやま))のふもとに、活玉依姫(いくたまよりひめ)という美しい姫がいました。ある夜から姫のもとに立派な若い男が訪れ、またたく間に姫は懐妊しましたが、夜明けには帰ってしまうその男の名も素性もわかりません。不審に思った父母は、寝床あたりに赤い土をまき、緒環(おだまき)の糸を男の着物のすそに刺しておくようにと姫に教えました。男が訪れた翌朝、糸は戸のかぎ穴から抜け出て美和山の神の社に届き、姫の手元には緒環にわずか三勾(みわ)だけが残りました。それからこの地を三輪(みわ)と呼ぶようになったそうです。

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DATA

  • 桜井市三輪1422
  • 0744-42-6633
  • 無料 ※宝物収蔵庫は有料(大人200円 高校生以下100円)
  • 普通車450台(通常無料、正月特別期間 1月1日~1月5日は500円)
    バス駐車場有(要問い合わせ)
  • 最寄り駅からの交通
      JR 三輪駅より 徒歩約5分

バリアフリー情報:無し

8

神末こうずえ

倭姫命(やまとひめのみこと)が垂仁天皇の命を受けて八咫鏡(やたのかがみ)を奉じて大神宮の候補地を探し歩かれたときのこと。候補地の一つとして、そのしるしに御杖(みつえ)を置いていかれたことから、その村の名前を神杖(こうづえ)といいましたが、神の字を用いることは恐れ多いとして、上津江(かみつえ)と書き、のちに神末(こうずえ)と呼ばれるようになりました。その御杖を御神体としてお祀りしたのが現在の御杖神社です。 

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DATA

  • 宇陀郡御杖村大字神末1020
  • 0745-95-2070
  • 09:00~17:00
  • 無料
  • 無料
  • 最寄り駅からの交通
     近鉄 榛原駅から奈良交通バス
     「曽爾村掛西口」下車、御杖ふれあいバスに乗り換え
     「神末中村」下車 徒歩約10分


 

9

風の神・龍田明神かぜのかみ たつたみょうじん

写真:龍田神社

16才の聖徳太子が、法隆寺を建立する場所を探して平群(へぐり)川の辺りを歩いていました。突然目の前に白髪の老人が現れ、「東の斑鳩がある。そここそ仏教を広める地である。私が守護神となろう。」とお告げになりました。太子は、この老人が土地の守護神と察し、さっそく斑鳩の地に法隆寺を建立したそうです。その時の老人こそ、風の神さまである龍田明神の化身であったといわれています。 

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DATA

  • 生駒郡斑鳩町龍田1-5-3
  • 0745-75-3163
  • 有り(5台)
  • 最寄り駅からの交通
       JR・近鉄 王寺駅より
       高畑町・国道横田・法隆寺前行きバス「竜田神社」下車すぐ

参拝自由

写真:龍田神社

10

大和の大蛇 やまとのおおへび、だいじゃ

写真:長尾神社

昔、大和にきわめて大きな蛇が住んでいました。三輪山(みわやま)を七回り半に取り巻き、その尾は長尾まで届いていました。それで、三輪明神(みわみょうじん)(大神神社(おおみわじんじゃ))は頭で、長尾神社はその尾にあたるといわれました。また、大和高田市の龍王宮(りゅうおうぐう)はその胴体であるとも伝えられています。そのため、三輪明神と龍王宮の拝殿や本殿は西を、長尾神社の本殿は東で向き合っていると言われています。

DATA

  • 葛城市長尾471
  • 0745-48-3018
  • 自由
  • なし
  • 無料
  • なし
  • 近鉄尺土駅から徒歩約12分
    近鉄磐城駅から徒歩約3分

写真:長尾神社

11

当麻の蹶速たいまのけはや

写真:蹶速塚

昔、当麻に蹶速(けはや)という力に優れた者がいました。時の天皇が「彼と力合わせをするものは誰かいないか」とお問いになると、出雲の国に野見宿祢(のみのすくね)という力の優れた者がいると申し上げた者があり、早速宿祢を召し、二人に角力を取らせました。たがいにけりあい、ついに蹶速は敗れ、生命を失いました。その時の賞として宿祢は蹶速所有の地を賜ったといいます。現在、当麻には蹶速の墓とも伝わる五輪塔があり、相撲関係者の信仰の対象になっています。

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DATA

  • 葛城市當麻83-1
  • 0745-48-4611
  • 毎週火・水曜日(火・水が祝日の時は開館、水曜日が祝日の時は木曜日が振替休館)、祝日
  • 大人300円、小人150円(観光休憩所は無料です)
    団体割引(20名以上)大人250円、小人120円
  • 収容可能台数:15台
    バス不可、ただし観光駐車場は(徒歩2,3分)バス可(有料)
    ※駐車スペースが限られますので公共の交通機関をご利用ください。
  • 最寄り駅からの交通
       近鉄南大阪線 當麻寺駅より 西へ徒歩5分(當麻寺参道沿い)

写真:蹶速塚

12

廣瀬神社ひろせじんじゃ

その昔、廣瀬郡川合にひとりの異人が現れ、多くの流れが会する池(往古の水足池(おうこのみずたるのいけ))の上に祠を造立すべしと、里長に御神託し姿を消しました。すると、たちまちに沼地が陸地に変わったといいます。その話が天聴に達し、天皇は大御膳神(おおみけつかみ)として、七宇の社殿を建て祀らせられました。その後、天武天皇4(675)年、大忌祭(おおいみのまつり)が始められ、現在毎年2月11日に行われる砂かけ祭は、大忌祭の行事の一つであると伝えられています。

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DATA

  • 北葛城郡河合町川合99
  • 0745-56-2065
  • 08:00~18:00
  • なし
  • 無料
  • 50台
  • 最寄り駅からの交通
      JR 法隆寺駅 東南3㎞
           徒歩30分
          タクシー10分

参拝自由

今後の行事・秘宝秘仏

砂かけ祭
2月11日(14:00~)

13

秋津州の名の起こりあきつしまのなのおこり

写真:葛城山から国見山方面を望む

日本書紀に神武天皇が東征を達成して国を見渡したと記される「掖上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘」。御所(ごせ)市の国見山(くにみやま)や本馬山(ほんまやま)が候補地と言われています。天皇が大和平定後、この丘に登って大和の国を眺めたとき、「ああ、何という美しい国であろう。国原は緑したたる山々に囲まれ、あたかも蜻蛉(あきつ)の臀拈(となめ)しているようだ」と言ったことから、その付近を「あきつ」と呼ぶようになり、日本の別号「秋津州(あきつしま)」の名が起こったと言われています。

DATA

  • 御所市原谷276
  • 0745-62-3346(御所市観光協会)
  • 国見山・・・御所市掖上、JR掖上駅から徒歩40分 
    国見神社・・・JR掖上駅から徒歩15分

奈良県神社庁より情報提供

写真:葛城山から国見山方面を望む

14

一言主の大神ひとことぬしのおおかみ

写真:葛城一言主神社

雄略天皇が葛城山(かつらぎさん)で狩をしている時、向こう側から天皇と同じ姿の一行が現れました。天皇が「お前は何者だ」と問いかけたところ、「私は悪事(まがごと)も善事(よごと)も一言で言い放つ神である」と申されました。天皇はひれ伏し、その後、共に狩を楽しんだといいます。このとき、天皇を一言でおさめたことから、一言だけ願いを叶えてくださるという一言主の信仰が始まったと言われています。

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DATA

  • 御所市森脇432
  • 0745-66-0178
  • 自由
  • なし
  • 無料
  • 普通車50台(無料)
  • 最寄り駅からの交通
       近鉄 御所駅から
       市コミニュティーバス(西コース内回り循環)「森脇」下車すぐ
       近鉄 御所駅から
       五條バスセンター行きバス「宮戸橋」下車 徒歩30分

       (JR御所駅から近鉄御所駅まで 徒歩3分)
       JR・近鉄 御所駅から 徒歩50分、タクシー約10分

写真:葛城一言主神社

15

舟岩(天磐舟) ふないわあまのいわふね

写真:天磐舟

御霊神社(ごりょうじんじゃ)の境内社、水場神社はもとは阿陀比売神社(あだひめじんじゃ)の北方の道路の近くにあったそうです。この水場神社跡の西側には舟岩(天磐舟)があり、神武天皇の御舟をつけられた所という伝承が残っています。地中に埋もれた大岩のところに「天磐舟」の石碑が建てられています。 

DATA

  • 五條市原町24
  • 阿陀比売神社・天磐舟 
    近鉄下市口駅からタクシー約10分、JR五条駅からタクシー約20分

奈良県神社庁より情報提供

写真:天磐舟

16

夢淵・魚見石ゆめぶち・うおみいし

写真:夢淵

神武天皇が東征の際、丹生川上(にうかわかみ)の地において天神地祇(てんじんちぎ)を祀り、大和平定成否を問うため厳瓮(いつべ、壷のこと)を夢淵に沈めたところ、大小の魚が木の葉のように浮き上がり流れました。これを吉兆として大和を平定しました。その魚の流れる様を臣下が見届けた所を古くより魚見石と言い、流れた魚こそ魚偏(さかなへん)に占うと書く鮎(あゆ)ということです。

DATA

  • 無料
  • 丹生川上神社の駐車場を利用
  • 丹生川上神社より徒歩約5分

写真:夢淵

17

百貝岳ひゃくかいだけ

写真:鳳閣寺

大峯山(おおみねさん)へ続く重要な修行路であった山中に大蛇が住みつき、霊場は荒れ果てていました。「大蛇を退治せよ」という朝廷の命令をうけた理源大師(りげんだいし)は、武勇にすぐれた箱屋勘兵衛とともに山に登り、まるで百のホラ貝が一斉に鳴るかのような大きな音でホラ貝を吹いて祈祷しました。驚いた大蛇が穴から出てきたところを理源大師は法力で縛りつけ、勘兵衛は大斧で切り裂きました。こうして大峯山への道も再開され、この山は百貝岳と呼ばれるようになりました。

写真:鳳閣寺

18

国栖の翁の舞(国栖奏)くずのおきなのまい(くずそう)

浄見原神社社殿

天智天皇の後継者をめぐって大海人皇子(おおあまのおうじ)と、大友皇子(おおとものおうじ)との間に争いが起こりました。都を離れ吉野の宮にたてこもっていた大海人皇子は、大友皇子らによる暗殺計画を察知し、吉野の国栖(くず)の川辺に逃げ落ちました。進退きわまったとき、川の渡しをしていた国栖の翁が舟にのって現れ、皇子の危機を救いました。そして国栖舞(くずまい)を奏し、皇子をお慰めしました。やがて戦いに勝利した皇子は天武天皇として即位し、国栖舞を「翁の舞」となづけ、宮中の大嘗祭などの式典で奉奏することを制定したそうです。 

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DATA

  • 吉野郡吉野町南国栖1
  • 0746-32-3081
  • 有り
  • 最寄り駅からの交通
      近鉄 大和上市駅 湯盛温泉杉の湯行バス「南国栖」下車 徒歩7分

浄見原神社社殿

今後の行事・秘宝秘仏

国栖奏
3月1日(13:00~14:00)

19

井光いひか

神武天皇が宇陀を発して吉野地方を巡幸された際、国神(くにつかみ)贄持(にえもつ)の子、そして井氷鹿(いひか)と石押分(いわおしわく)の子らが天皇をお迎えしました。井氷鹿は井戸の中から現れて神武天皇を迎えたといいます。現在、旧県社の井光神社(いひかじんじゃ)の近くに井氷鹿が出現したという大きな窪地があります。 

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DATA

  • 吉野郡 川上村井光
  • 近鉄大和上市駅から車40分
    近鉄大和上市駅から湯盛温泉杉の湯行きバス「武木(たきぎ)」下車徒歩40分
     

「古事記」より

 尾のある人、井より出て来たりき。その井に光ありき。
 ここに「汝は誰ぞ」と問ひたまへば、
 「あは国つ神、名は井氷鹿(いひか)と謂ふ」と答へ曰しき。
 こは吉野首(よしののおびと)等の祖なり。 


「日本書紀」より

 人有りて、井の中より出でたり。光りて尾有り。
 天皇問ひて曰く「汝は何人ぞ」。応えて曰く
 「臣は是れ国神なり。名を井光(いひか)と為す」。
 此れ即ち吉野首部(よしののおびと)が始祖なり。 

20

折立おりたち

神武天皇が大和の国へ入られるときのこと。熊野から玉置山へ登られ、そこから降り立ったところであるので、折立村(古くは下立村)という名がついたということです。また、玉置神社に神武天皇をお奉りしているのは、神武天皇が滞在された場所であるからといわれています。玉置神社を含む「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」は2004年7月に「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコの世界遺産に登録されました。

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DATA

  • 吉野郡十津川村玉置川1
  • 08:00~17:00
  • 500円(小学生以下は無料)
  • 無料 80台
  • 最寄り駅からの交通
      JR五条駅・近鉄大和八木駅から
        十津川経由新宮行バス「十津川温泉」下車、
        玉置山駐車場までタクシーで約20分、駐車場から 徒歩約15分
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