巡る奈良

特別講話1祈りの回廊 2014年秋冬版

「大仏殿再興と華厳の教え」 華厳宗大本山 東大寺
執事長/平岡昇修

―「奈良の大仏さん」が鎮座する東大寺。平岡執事長にお話を伺いに行った日も、参道や境内は修学旅行生や観光客であふれかえっていました。にぎわいも祈りも、全てを受け止めているかのような大仏さまを見上げていると、大きな安心感に包まれます。
―「奈良の大仏さん」が鎮座する東大寺。平岡執事長にお話を伺いに行った日も、参道や境内は修学旅行生や観光客であふれかえっていました。にぎわいも祈りも、全てを受け止めているかのような大仏さまを見上げていると、大きな安心感に包まれます。
平岡執事長 大仏さまの正式名称は「毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)」。サンスクリット語でヴァイローチャナと言い、「あまねく照らす光の仏さま」というような意味です。東大寺は国家の安寧と隆昌を祈願する国分寺として創建されましたが、実は、大仏が造られた理由は他にあるのです。奈良時代は華やかな反面、政変や天変地異、天然痘の流行などが相次いだ暗い時代でもありました。それを憂えた聖武天皇は、動植物も含めた全ての生きとし生けるものの繁栄を願い、人々が思いやりの心をつなげていくことの大切さを説いた華厳(けごん)の教えに基づいて盧舎那仏を造ることを発願されたのです。当時の日本は「倭国(わこく)」と呼ばれ、野蛮な国のように見られていましたから、そうではないと知らしめるために造立を考えた面もあるかもしれません。巨大なものを造るために必要な材木も豊富にありました。造立には、延べで当時の人口の半分が携わったとされ、いかに大事業であったかがうかがえます。
―大仏殿はしかし、創建から二度にわたり焼失の憂き目に遭います。復興を担うために諸国を巡って寄付を集める造営勧進には鎌倉時代に重源(ちょうげん)上人、江戸時代には公慶(こうけい)上人がそれぞれ当たられました。
―大仏殿はしかし、創建から二度にわたり焼失の憂き目に遭います。復興を担うために諸国を巡って寄付を集める造営勧進には鎌倉時代に重源(ちょうげん)上人、江戸時代には公慶(こうけい)上人がそれぞれ当たられました。
平岡執事長 公慶上人は炎上した二月堂の素早い再建を眼前にして、大仏殿の再建を決意されたと伝えられます。大仏修復とそのための諸国勧進の許しを幕府から得たのは37歳の時。今のお金で10億円が必要で、公慶上人は勧進の間、横になって寝ることはしませんでした。勧進所公慶堂の坐像に見えるこけた頬、充血した目に苦難が偲ばれます。勧進に当たっては、効果を上げようと江戸や京都、大阪など都市化している所を回り、江戸浅草の長寿院を根拠地に、絵巻物を使って大仏縁起を講じてもいます。私も見たことがない絶対秘仏、二月堂の小観音を含む宝物の拝観も行ったそうです。そうして6年後に大仏は修復されるのですが、1か月にわたった開眼供養には30万人が参詣したといいます。
―ご本尊である大仏さまを安置する大仏殿は木造建築として世界最大級です。再興するにはどれほど大変だったことでしょう。
―ご本尊である大仏さまを安置する大仏殿は木造建築として世界最大級です。再興するにはどれほど大変だったことでしょう。
平岡執事長 大仏殿の再興には大仏修復の10倍の額が必要とあって、幕府の力が不可欠でした。そこで長谷寺のお坊さん、当時は護持院住職だった隆光(りゅうこう)の仲立ちで五代将軍綱吉の母、桂昌院(けいしょういん)に会い、協力を取り付けます。
桂昌院は散財して江戸幕府を破たんさせたとも言われますが、彼女が社寺の修復に費用をつぎ込んでいなければ、東大寺をはじめ、今の世界遺産は存在しなかったでしょう。当時の勘定奉行、荻原重秀(おぎわらしげひで)の経済政策も効果的でした。貨幣改鋳を断行し、新井白石に目の敵にされた人物ですが、最近は業績が見直されています。元禄地震、4年後の宝永地震、そして富士山の噴火。相次ぐ災害で大仏殿再建のためのお金はその都度取り崩されますが、荻原の財政政策がなければ、日光東照宮に次ぐ規模の額の大事業は果たせなかったでしょう。
大仏殿の巨大な屋根を支える梁には、宮崎県霧島山系からご神木が切り出され、海を渡って木津まで運ばれました。江戸中期の僧・古澗明誉(こかんめいよ)による絵巻物「大仏殿虹梁木曳図」(だいぶつでんこうりょうこびきず)には、巨木を曳く民衆の様子が生き生きと描かれています。
―はしゃぐ子どもたち、温和な表情の公慶と、彼をひれ伏して拝む者。湧きかえるような喜びにあふれた絵を見ると、大仏殿再建は人々の悲願であったのだと、改めて気づかされます。
―はしゃぐ子どもたち、温和な表情の公慶と、彼をひれ伏して拝む者。湧きかえるような喜びにあふれた絵を見ると、大仏殿再建は人々の悲願であったのだと、改めて気づかされます。
平岡執事長 巨木を寺まで運ぶには大変な労力が要りますが、お金を出せない代わりに労力でもって再建に携わりたいと人々は願った。そうすることで「結縁(けちえん)」を持とうとしたのです。華厳の教えとは何か、私もまだ学んでいるところです。ですが、強制されたわけでもないのに一人一人が何かのために縁を結ぼうとし、それがつながりを持つ。大仏殿再建の歴史を振り返ると、一人一人の力を大切にしようということが、華厳の教えではないかと思うのです。
プロフィール

プロフィール

華厳宗宗務長/東大寺執事長/東大寺大仏殿院主 平岡 昇修(ひらおか しょうしゅう)

1949年、奈良市東大寺生まれ。大谷大文学部仏教学科卒業後、72~75年、インド政府給費留学生としてマドラス大インド哲学科修士課程修了。日本学術振興会奨励研究員、花園大などでの非常勤講師を経て現在、東大寺塔頭上之坊住職。東方学院講師、財団法人アジア・アフリカ国際奉仕財団理事長も務める国際派で、サンスクリットについての著書多数。

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