祈りの回廊

特別講話

「青年・空海と奈良」 南都七大寺 大安寺
貫主/河野 良文

―2015年は、高野山開創1200年。弘法大師・空海への注目度がますます高まっています。大安寺と空海とのつながり、ご縁について教えてください。
―2015年は、高野山開創1200年。弘法大師・空海への注目度がますます高まっています。大安寺と空海とのつながり、ご縁について教えてください。
河野貫主 空海は讃岐に生まれ、15歳で母方の叔父を頼って上京します。当時の都は長岡京へ遷っていましたが、整備途上だったため、官吏を養成する大学などはまだ平城京にあったようです。
18歳になって空海はそこで学び始めますが、藤原氏をはじめとする一流貴族の子弟が立身出世を目指す世俗的な環境に、多感な青年・空海は葛藤し、苦悩しました。人としてどう生きるか、人々のためになるには何を学ぶべきか。そうしてついに仏道こそわが道と思い定め、大学を中退し、一気に仏教へ傾倒するのです。
仏道を志した空海が最初に訪れた場所が、仏教の総合学問所的な役割を果たしていた、ここ、大安寺だったのです。
―大官大寺を前身とし、南都七大寺の一つに数えられた大安寺。10代の空海は当時、七重の塔が並び立つ壮大な伽藍で学んでいたのですね。
―大官大寺を前身とし、南都七大寺の一つに数えられた大安寺。10代の空海は当時、七重の塔が並び立つ壮大な伽藍で学んでいたのですね。
河野貫主 大安寺は唐の西明寺を範とし、祇園精舎を現実世界に表現した寺です。大仏開眼の大導師を務めたインド僧・菩提僊那(ぼだいせんな)は亡くなっていましたが、海外の僧も多く、天平時代の『大安寺伽藍縁起并流記資材帳(だいあんじがらんえんぎならびにるきしざいちょう)』によれば、887人の学僧が居住し、学んでいたようです。
空海は経典をひたすら紐解いて勉学に励み、併せて吉野や大峰山での山林修業に励みます。大自然の中に身を置くことで「自然智」、宇宙の真理を知ろうとしたのです。その修法の一つ、「虚空蔵菩薩求聞持法(こくうぞうぼさつぐもんじほう)」を空海に授けたのが大安寺の僧・勤操(ごんぞう)と言われています。空海の剃髪をし、唐留学の実現にも尽力したとされる勤操は空海に大きな影響を与えた人物ですが、当時の大安寺には僧や学者、研究者がたくさんおり、彼らも空海に刺激を与えました。
いかに生きるべきか悩み、燃えるような思いで仏教を求めた青年・空海の姿が、大安寺にはあったのです。
―空海というと一般的には高野山や京都というイメージでしたが、奈良で過ごした青春時代の空海という新たな魅力に気づけました。
―空海というと一般的には高野山や京都というイメージでしたが、奈良で過ごした青春時代の空海という新たな魅力に気づけました。
河野貫主 真言宗を興してからの空海は高野山と京都の東寺を活動拠点とされますが、双方を行き来する道中、奈良を経由したことでしょう。
大安寺、東大寺の別当になられ、元興寺のあるお坊さんが戒を破った際に寛大な措置を乞う嘆願書を朝廷に出すなど、南都の寺僧とも親交を深めていたようです。興福寺の南円堂築造にも直接関わっていますし、弟子への遺言である「御遺告」25か条でも、その8条に「大安寺をもって本寺となすべし」とあります。最澄が奈良の仏教界に反発して天台宗を興したのと対照的で、空海は南都六宗の立場を認めた上で、それらを取り込んで真言宗を興したのです。
生駒の山を望む境内で、今でも何となく、空海の存在を感じることがあります。高野山は空海が完成されたところですが、奈良には若き空海の修業のあとがあるのです。
―空海と大安寺、奈良との結びつきは深かったのですね。ますます奈良が誇らしく思えます。
―空海と大安寺、奈良との結びつきは深かったのですね。ますます奈良が誇らしく思えます。

河野貫主 大安寺は「弘法大師出身の地」と言えるかもしれません。空海が仏教の道へ入っていった、その始まりの地だからです。
空海が刻んだ仏像だとか、腰かけられた岩だとか、言い伝えはたくさんありますが、それが事実かどうかは重要ではありません。今も人々の間に伝わっているということ、そのことこそが大切だと思うのです。
空海を偲ぶ法会として、大安寺では毎年6月15日に「青葉祭 弘法大師誕生会」を、入定(宗教的瞑想)された4月21日にご命日法要として「正御影供」を営んでいます。空海は実在の人ですが、信仰の対象として仏そのものになられたということですね。この日は高野山の管長も毎年来てくださり、ご遺髪も年に1回、この日だけお出ししています。このご遺髪を「こうやさんフェスタ in 奈良 ~行くなら高野山~」(2014年10月31日~11月2日)では特別にお出しする予定です。一人でも多くの方に足を運んでいただきたいですね。
プロフィール

プロフィール

大安寺 貫主 河野 良文(こうの りょうぶん)
1951年、福岡県生まれ。15才で高野山に登り、仏門に入る。高野山大学卒業後、開教留学僧としてタイ国留学。3年間余、バンコクの僧院にて上座部仏教の研鑽を積む。帰国後、高野山真言宗教学部勤務。尼僧修道院担当など。1985年、大安寺に入寺。副住職。2002年3月より貫主。現在、奈良日独協会会長、奈良大文字保存会副会長他。

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