巡る奈良

特別講話23祈りの回廊 2018年春夏版

「平城宮とともに発展した古寺」NEW 海龍王寺
住職 /石川 重元

平城宮の内道場(ないどうじょう)として発展したお寺とのことですが、まずは「内道場」について教えてください。
平城宮の内道場(ないどうじょう)として発展したお寺とのことですが、まずは「内道場」について教えてください。
石川住職 
 平城宮の内道場とは、宮廷内の道場、つまり平城宮の主(あるじ)である天皇家の私寺という意味です。現在、海龍王寺がある一帯は奈良時代に皇后宮があった場所ですが、もっとさかのぼれば、飛鳥時代にこの地域を治めた土師(はじ)氏の氏寺がありました。平城遷都後この地を譲り受けた藤原不比等(ふひと)は、その土師氏の寺も取り込み、邸宅を築きます。不比等の死後、邸宅は娘の光明皇后が相続することで皇后宮となるのですが、土師氏の寺はそのまま残され、やがて唐から帰国した僧・玄昉(げんぼう)僧正が住持(じゅうじ)することになりました。海龍王寺の歴史は、ここから始まります。
 玄昉僧正を皇后宮内に置いたのは、唐で「仏教によって国を治める仕組み」を学んだ僧正を近くに置き、いつでも意見を求められるようにするためでしょう。僧正は唐の洛陽(らくよう)宮にならい、海龍王寺を「平城宮内道場」と定め、聖武天皇、光明皇后らのために日々祈りを捧げました。日本の内道場は平安時代、空海の要請で仁明(にんみょう)天皇が開いたのが初めとされますが、海龍王寺はそれに先立ち、平城宮の内道場としての役割を果たしていました。
平城宮とともに発展したお寺なのですね。その平城宮跡が、この春大きくリニューアルします。
平城宮とともに発展したお寺なのですね。その平城宮跡が、この春大きくリニューアルします。
石川住職
 この寺で生まれた私にとって、平城宮跡は恰好の遊び場でした。昔は建物も無く、本当に広大な原っぱでしたが、今は朱雀門(すざくもん)や大極殿(だいごくでん)が再建され、“昔の日本の首都”と実感できる場所になりました。春には朱雀門ひろばも開園し、ますます注目を集めるでしょう。
 平城宮跡には、その土地の持つ力、仏教でいうところの血脈(けちみゃく)のようなものが、細いながらも続いていたのだと思います。ただ、宮跡に奈良時代の建物は残っていません。そこは我々周辺の古寺が補い、参拝の方に建物や仏像に刻まれた歴史を感じていただいて、想像力を高めて、宮跡を見ていただけるようにする。そうやって互いに補完することで、皆さんに、より奈良時代を感じていただけるのではないかと思っています。
 
ご住職は、さまざまな情報発信にも取り組んでおられますね。
ご住職は、さまざまな情報発信にも取り組んでおられますね。
石川住職
 ブログやSNSなど、お坊さんが「今どきのもの」を使うことに、違和感を持つ方もいらっしゃるかもしれません。ですが、古くは寺を出て、ちまたで仏の教えを説く「辻説法(つじせっぽう)」に取り組んだ僧もおられます。仏教を広めるため新しい方法を取り入れることは、昔から行われていました。現代の私たちも、宗教者としての考えを知っていただく努力が必要だと思っています。
 ツイッターやフェイスブックでつながるというのは、面白いものです。初めて参拝に来られた方とも「初めまして」じゃないという、不思議な関係が生まれます。若い方との垣根も随分低くなりました。これは、法話や写経を通じて、お寺を身近に感じていただくこととも通じるものです。大切なのは、不変と革新の識別。それを忘れず、情報発信の取り組みは、今後も続けたいと思っています。

プロフィール

海龍王寺/住職 石川 重元(いしかわ じゅうげん)

昭和41年、海龍王寺に生まれる。
平成3年に海龍王寺住職に就任。
みうらじゅん氏らと親交を結び、「イケ住」としてWebなどでさまざまな情報を発信する。

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