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特別講話

「美しい十一面観音と、どこかユーモラスな子安延命地蔵を祀る」 聖林寺
住職/倉本 明佳

―天平仏の傑作として名高い十一面観音様で知られています
―天平仏の傑作として名高い十一面観音様で知られています
倉本住職
 当寺の十一面観音立像〈国宝〉は、もとは同じ桜井市内にある大神(おおみわ)神社の神宮寺・大御輪寺(だいごりんじ)にご本尊として祀られていたものです。明治の神仏判然(しんぶつはんぜん)令で大御輪寺が廃寺となる際、当寺に客仏として遷座されました。
 当寺は飛鳥時代に妙楽寺(みょうらくじ)(現談山(たんざん)神社)の支院のひとつとして、藤原鎌足の長子・定慧(じょうえ)が創建したと伝わっています。その後妙楽寺と興福寺との争いの中でたびたび戦火に遭っており、古い文書などは残っておらず、寺の歴史がはっきりするのは江戸時代に性亮玄心(しょうりょうげんしん)和尚が中興されてからです。江戸末期には学問寺として知られるようになり、特に中興6世の大桂(だいけい)和尚、7世の大心(だいしん)和尚の名声は高く、ともに東大寺戒壇院の住職も兼務されています。大御輪寺最後の住職となった郭道(かくどう)和尚もまた当寺で学ばれた方で、大心和尚が兄弟子の学僧でしたから、大御輪寺廃寺の際、ご本尊を当寺にお遷しになったのも、自然なことだったと思います。
―ご本尊の子安延命地蔵にも不思議な逸話が伝わっています
―ご本尊の子安延命地蔵にも不思議な逸話が伝わっています
倉本住職
 子安延命地蔵は、享保年間(1716〜1736)に造立されました。台座の蓮台も含め一枚の花崗岩から堀り出されていて、ずんぐりとしたシルエットと白く大きな尊顔は、すらりとした十一面観音様とは好対照です。
 この像を造られたのは、当寺の僧・文春(もんしゅん)様です。文春様のお姉様は難産に苦しまれたそうで、また当時は今よりもお産に苦しむ方が多かったでしょう、女人泰産を願う大石仏造像を発願され、全国を回って浄財を集められました。4年7ヶ月の行脚(あんぎゃ)の末浄財は集まりますが、仏師(石工)が見つかりません。すると文春様の夢に地蔵菩薩が現れ、「但馬の国に佐助という優れた石工がいる」と夢告されます。翌朝文春様は但馬に向かって旅立ち、奈良猿沢池あたりでその日の宿をとろうとすると、向かいから3人組が歩いてくる。実はその人たちこそ但馬の石工・佐助とその一行で、無事、現在のご本尊様が完成したということです。
 以来、当寺は安産・子授けの御利益で広く知られることとなり、今もたくさんの方がご祈祷にお越しになります。
―この春から観音堂の改築が始まるということですが
―この春から観音堂の改築が始まるということですが
倉本住職
 現在十一面観音様をお祀りしている観音堂は、昭和34年(1959)に祖父が建立したお堂ですが、地震などへの対策が十分ではないため、5月中旬より改修工事を行います。その間、十一面観音様は、東京国立博物館や奈良国立博物館で開催される特別展「国宝聖林寺十一面観音ー三輪山信仰のみほとけ」に出座されます。観音堂改修は2021年春には終了し、観音様の正面だけでなく、横や背後も拝観いただけるようになる予定です。
 当寺がある桜井市下の里は、奈良公園のようなにぎやかな場所ではありませんが、その分、心静かにお参りいただくことができます。山裾の高台に建つため本堂からは三輪山や奈良盆地東部が見渡せ、門前からは、卑弥呼の墓ともいわれる箸墓(はしはか)古墳を望むこともできます。
 当寺にお参りの際は、平常心にて仏と向き合い、また日本の原風景ともいうべき景観を眺めながら、参拝を、ご自身と向き合う機会としていただけばと思います。
プロフィール

プロフィール

聖林寺/住職 倉本 明佳(くらもとみょうか)

1968年、新潟県上越市に生まれる。
1980年より、父の実家である聖林寺に。
2007年に得度、2010年より聖林寺住職。


聖林寺 
〒633-0042 桜井市下692
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