巡る奈良

祈りの回廊 2018年秋冬版

明治維新から150年
フェノロサ
〜日本美術を救ったアメリカ人〜

法隆寺:夢殿本尊・観音菩薩立像[救世観音]〈国宝〉

写真/法隆寺:夢殿本尊・観音菩薩立像[救世観音]〈国宝〉
(写真:(株)飛鳥園)

 日本が欧化政策を進め、日本古来の文化財が軽視されていた明治時代に、その価値を認め、保護に努めたアメリカの哲学者アーネスト・フェノロサ。
 日本政府の要請を受け来日した彼は、哲学者・政治学者でありながら美術への造詣も深く、奈良の文化財に、ギリシャ・ローマ美術にも通じる美を見出したといいます。
今年は明治維新から数えて150 年。日本フェノロサ学会事務局長の新関伸也さんと一緒に、改めてフェノロサの足跡と、彼が激賞した文化財を訪ねます。

アーネスト・フェノロサ

アーネスト・フェノロサ

アメリカ合衆国の東洋美術史家、哲学者(1853年~1908年)写真:法明院/Ⓒ日本フェノロサ学会

法隆寺夢殿の厨子を開扉させた外国人

 明治17年(1884)(※1) 夏、法隆寺夢殿〈国宝〉で、寺の僧侶ですら見ることの許されなかった秘仏が、約200 年ぶりに開帳されました。聖徳太子の等身像ともいわれる、救世観音菩薩立像(くせかんのんぼさつりゅうぞう)〈国宝〉です。この開帳に関わったのが、文部省の調査員として古社寺の宝物調査にあたっていたアメリカ人哲学者、アーネスト・フェノロサ。フェノロサは自著『東洋美術史綱(とうようびじゅつしこう)』でこの像を「プロフィルの美しさにおいて、古代ギリシャ彫刻に迫る」と絶賛しています。新関伸也さんは「西洋人であるフェノロサにとって、最上の芸術はギリシャ・ローマ美術。それに匹敵するというのは、彼にとって最高の賛辞でしょう」と語ります。
 フェノロサが来日したのは、明治11年(1878)。明治元年(1868)の神仏判然令(神仏分離令)に端を発した廃仏毀釈運動は収束しつつありましたが、西洋文化を重んじるあまり、日本古来の文化を軽視する風潮は依然として続いていました。そんな中、アメリカで美術を学んだフェノロサは日本美術にも興味を持つようになり、東京大学で哲学、政治学などを講義する傍(かたわら)、時間を見つけては奈良・京都の古社寺や古美術商を回るようになります。教え子には、後に東京美術学校(現東京藝術大学の前身)の設立などに活躍する岡倉天心(おかくらてんしん)がおり、彼は常に通訳としてフェノロサに同行していました。
 フェノロサは法隆寺がよほど気に入っていたのでしょう、夢殿開扉後も何度も寺を訪れ、金堂〈国宝〉の壁画(※2)をフレスコ画やイタリア・ポンペイの壁画に通じると絶賛し、伝橘夫人念持仏(でんたちばなぶにんねんじぶつ)〈国宝〉を「東アジアにおける仏教美術初期の比類なき花」と褒めたたえています。

※1 明治19年(1886)という説もあります
※2 法隆寺金堂壁画は昭和24年の火災で焼損しており、現在拝観できるのは模写です

法隆寺:伝橘夫人念持仏〈国宝〉(写真:(株)飛鳥園)

写真/法隆寺:伝橘夫人念持仏〈国宝〉
(写真:(株)飛鳥園)

日本人とは異なる価値観で奈良の文化財を評価

 フェノロサが初めて奈良を訪れたとされるのは、明治13年(1880)。その際、唐招提寺の「仏像集積所のような場所」を見て、衝撃を受けたといいます。「フェノロサがそこで見たのは、破損仏でした。西洋では、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケに代表されるように、一部が欠損した彫刻にも美術的な価値を見出します。信仰の対象として、仏像に完全な姿を求めた日本人とは、少し感じ方が違ったのかもしれません」。今も唐招提寺新宝蔵では、“唐招提寺のトルソー”の名で知られる如来形立像(重文)などの破損仏を拝観することができます。

写真/唐招提寺:如来形立像[トルソー](重文)(写真:(株)飛鳥園)

写真/唐招提寺:如来形立像[トルソー](重文)
(写真:(株)飛鳥園)

 唐招提寺の南にある薬師寺もまた、フェノロサを魅了した寺です。現在はお写経勧進によって昭和以降に再建された色鮮やかな堂塔が立ち並びますが、当時は創建時から残る東塔〈国宝〉のほか、東院堂〈国宝〉、仮堂などが立つだけでした。それでもフェノロサは『東洋美術史綱』に、「薬師寺のなにもかもをひとつの全体としてみる時、その美的価値は、わざわざ多大の時間と費用をかけてアメリカから日本を訪れた研究旅行者の期待に十分応えてくれる」と書き残しています。東院堂の聖観音菩薩立像(しょうかんのんぼさつりゅうぞう)〈国宝〉を法隆寺の救世観音と比較しつつ「ギリシャ的仏像彫刻の典型」と称賛し、本尊薬師三尊像(やくしさんぞんぞう)〈国宝〉については、特に脇侍(わきじ)の日光・月光(にっこう・がっこう)菩薩立像を「おそらく世界で最もすぐれたブロンズの立像」と紹介しています。

写真/薬師寺:聖観音菩薩立像〈国宝〉

写真/薬師寺
聖観音菩薩立像〈国宝〉

写真/薬師寺:本尊薬師三尊像〈国宝〉(写真:(株)飛鳥園)

写真/薬師寺
本尊薬師三尊像〈国宝〉
(写真:(株)飛鳥園)

注目したのは、内面に秘めた神々しさ

 「フェノロサが好んだ仏像を辿ってみると、ある共通点があることに気づきます」と新関さんは語ります。フェノロサが最も好んだ仏像が、奈良時代初期の天平仏。写実性を追求しながらも、内面に神々しさを秘めたその姿に、フェノロサはギリシャ・ローマに通じる美を見出したのです。「西洋人にとってのギリシャ・ローマ彫刻は、単に古典的な芸術というものではありません。彼らはそこに、人の理想の姿を追求した結果生まれた、神的な美を感じているのです。『東洋美術史綱』にも、“古典的というのは神的なものを人間的なものに還元しようとするものであるが、理想的というのはむしろ人間的なものの示唆を神的なものに翻訳しようとする”との記述があります」
 そのフェノロサが天平仏の最高傑作のひとつとしたのが、東大寺の日光・月光菩薩立像〈国宝〉です。現在は東大寺ミュージアムに安置されていますが、フェノロサが見た当時は法華堂(三月堂)〈国宝〉に祀られていました。「フェノロサの好んだ“内面に秘めた神々しさ”というものが、非常にわかりやすい像だと思います。鎌倉時代以降の仏像にもリアリズムは見られますが、それらはリアリズムを追求した結果、実在する人に近づいていった。これはどちらが良いということではなく、時代がどちらを求めていたかの問題です。天平仏と鎌倉仏の違いは、東大寺戒壇堂(かいだんどう)の四天王立像〈国宝〉と、興福寺中金堂の四天王立像〈国宝〉を見比べても、感じられると思います」
 フェノロサはその後も古社寺調査の活動を続け、明治21年(1888)年には、奈良市淨教寺で文化財保護を訴える講演を行いました。この講演は日本国民の意識改革だけでなく、後の帝国奈良博物館(現奈良国立博物館)開設につながったともいわれます。
 フェノロサに同行していた岡倉天心は、明治23年(1890)、フェノロサを副校長に迎え、東京美術学校校長に就任します。フェノロサは同年帰国しますが、その後もボストン美術館東洋部長などを歴任、日本美術の紹介に努め、明治41年(1908)、ロンドンの大英博物館で死去。遺骨は遺言により分骨され、フェノロサが受戒した滋賀県大津市の三井寺(みいでら)法明院に葬られました。岡倉天心は明治31年(1898)まで東京美術学校の校長を勤めた後、日本美術院を設立。その「国宝修理所」は、現在も奈良国立博物館内の工房などで、文化財修理に当たっています。

写真/東大寺:日光・月光菩薩立像(写真:(株)飛鳥園)

写真/東大寺:日光・月光菩薩立像
(写真:(株)飛鳥園)

新関 伸也

新関 伸也(にいぜき しんや)

「フェノロサは単に文化財を調査しただけではなく、心から日本を愛した研究者です。もっと多くの人に、彼の功績を知っていただきたいと願っています」

日本フェノロサ学会事務局長。昭和57年岩手大学教育学部卒業。その後中学校美術教諭などを経て、山形大学大学院教育学研究科修了。平成19年より滋賀大学教授。平成22年から日本フェノロサ学会事務局長

column

フェノロサ講演「奈良の諸君に告ぐ」

 明治21年(1888)6 月5日、古社寺の宝物調査のため奈良を訪れていたフェノロサは、淨教寺(奈良市上三条町)で文化財保護を訴える講演を行いました。約500 人の聴衆に向かい「日本の美術は西洋と比較して、少しも劣るものではありません」と勇気づけ、「奈良の文化財は、奈良という一地方だけでなく、世界の宝。その保存の大任は、みなさんが尽くすべき義務であり、栄誉です」と語りかけました。
 講演の舞台となった淨教寺では、その内容を今も大切に語り伝えています。島田春樹住職は「フェノロサは日本の仏教美術を見て回るうちに仏の教えに触れ、やがて仏教に改宗までした人物です。講演の内容にも、日本への愛情や、仏教で言う“ 慈悲の心”がにじみ出ているように感じます」と語ります。「明治は日本古来の文化が軽視された時代でしたが、同時に、どの家にもお仏壇があり、朝夕は当然のように、ご本尊、ご先祖に手を合わせていた時代でもあります。フェノロサはそんな時代に、“ 西洋に流されず、堂々と自分の信仰を守りなさい”と語りかけてくれたのです」
 フェノロサは文化財保護を訴えましたが、島田住職はそのためにも、信仰や慣習を伝えていくことが大切だと考えています。「例えば、道端のお地蔵様にお供えをしたり、手を合わせたりすることも、先人が守り伝えてきた文化。そういう日本の文化を途絶えさせないことこそ、フェノロサの恩に報いることだと思います」

島田 春樹

Profile

島田 春樹 しまだ はるき

昭和37年、新潟県長岡市の明鏡寺に生まれる。昭和61年、学園前淨教寺会館主管を経て、同年淨教寺に入寺。平成20年、第26世住職に就任

淨教寺(じょうきょうじ)

淨教寺 じょうきょうじ

本尊は鎌倉時代の美しい阿弥陀如来立像。堂前のソテツの巨樹は、県と市の文化財に指定さています。

法隆寺夢殿〈国宝〉

写真:奈良県

法隆寺 ほうりゅうじ

推古天皇の時代に聖徳太子が創建。広い境内は西院と東院に分かれ、約190件、3000点もの国宝・重文を含む膨大な寺宝を伝えています。救世観音菩薩立像〈国宝〉を安置する夢殿〈国宝〉は、春・秋のみ開扉されます。

  • 生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
  • 0745-75-2555
  • ●JR法隆寺駅から法隆寺参道行きバス終点下車、徒歩すぐ ●近鉄筒井駅から王寺駅行きバス「法隆寺前」下車、徒歩すぐ
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唐招提寺金堂〈国宝〉

写真:奈良市観光協会

唐招提寺 とうしょうだいじ

聖武天皇の招きで来日した唐の高僧・鑑真が天平宝字3年(759)に創建。緑豊かな境内に、4棟もの貴重な天平建築が現存しています。「唐招提寺のトルソー」などを安置する新宝蔵は、3~6月と9~11月、12/31~1/3に開館されます。

  • 奈良市五条町13-46
  • 0742-33-7900
  • 近鉄西ノ京駅から徒歩約8分●JR・近鉄奈良駅から奈良県総合医療センター行きバス「唐招提寺」下車すぐ
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薬師寺遠景

写真:薬師寺

薬師寺 やくしじ

創建時からの建物は東塔〈国宝〉(2020年まで解体修理中)のみですが、昭和43年からの伽藍復興事業により、現在は金堂・西塔・大講堂など色鮮やかな堂塔が並びます。本尊薬師如来坐像〈国宝〉の台座には、シルクロード諸国の文様が浮き彫りにされています。

  • 奈良市西ノ京町457
  • 0742-33-6001
  • 近鉄西ノ京駅から徒歩すぐ● JR・近鉄奈良駅から奈良県総合医療センター行きバス「薬師寺」下車、徒歩すぐ
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東大寺大仏殿〈国宝〉

写真:奈良市観光協会

東大寺 とうだいじ

奈良のシンボルでもある大仏さま(盧舎那仏坐像)〈国宝〉を本尊とする寺です。天平彫刻の宝庫といわれる法華堂(三月堂)〈国宝〉、フェノロサも絶賛した四天王立像〈国宝〉を祀る戒壇堂など、多くの見どころがあります。

  • 奈良市雑司町406-1
  • 0742-22-5511
  • ●JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「東大寺大仏殿・春日大社前」下車、徒歩約5分●近鉄奈良駅から徒歩約20分
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奈良国立博物館新館

写真:奈良国立博物館

奈良国立博物館 ならこくりつはくぶつかん

明治28年(1895)に帝国奈良博物館として開館。仏教美術の展示は国内で最も充実しており、国宝・重文を含む貴重な仏像を鑑賞できます。また毎年10月下旬~11月上旬の正倉院展では、フェノロサも激賞した正倉院御物が公開されます。第70 回正倉院展 :10/27(土)~11/12(月)

  • 奈良市登大路町50
  • 050-5542-8600(ハローダイヤル)
  • ●JR・近鉄奈良駅から市内循環バス「氷室神社・国立博物館」下車、徒歩すぐ●近鉄奈良駅から徒歩約15分
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フェノロサのいた時代

「廃仏毀釈運動と興福寺再建」

 明治時代は、多くの寺院にとって苦難の時代でした。神仏判然令とそれに続く廃仏毀釈運動はいくつもの寺院を廃寺に追い込み、明治4 年(1871)には境内地以外の寺領を召し上げる「上知令(じょうちれい)」が施行されました。経済難に陥った寺院では、寺宝を質に入れてしまうことも珍しくなかったといいます。奈良の大寺も大きな打撃を受けており、中でも興福寺は、一時は廃寺同然となっていました。
 「神仏判然令は、1000 年以上も続いた神仏習合の歴史を、無理やり終了させようとするものでした。昨日まで“ 春日社興福寺”だったのが、突然“ 春日社”と“ 興福寺”に分けられてしまった。これは大変なダメージでした」と興福寺の多川俊映貫首は語ります。
 興福寺が復興に向け動き出すのは、明治12 年(1879)のことです。興福寺を氏寺とする藤原氏と奈良の町衆が中心になって運動を続け、ついに明治15 年(1882)、境内地が寺に返還されました。さらに明治30 年(1897)には、フェノロサの文化財調査結果を受けた「古社寺保存法」が制定されて、ようやく興福寺も廃仏毀釈の混乱から脱しました。
 興福寺の整備は現在も続いており、今年、享保2 年(1717)に焼失して以来約300 年ぶりに中金堂が再建され、10 月に落慶法要が営まれます。多川貫首は「私は、明治の神仏判然令は、国民的な議論を経ず布告されたことに、問題があったと思っています。今後も境内の整備は続きますが、何を、どの程度整備するかは、いろいろな意見があることです。私たちは神仏判然令の轍(てつ)を踏まず、皆さまのご理解を得ながら、時間をかけて整備してまいりたいと考えています」と語ります。

釈迦如来坐像

再建された中金堂には、釈迦如来坐像を中心に薬王・薬上菩薩立像(重文)、四天王立像〈国宝〉などが安置され、柱には法相宗の祖師が描かれています(写真:(株)飛鳥園)

多川 俊映

Profile

多川 俊映 たがわ しゅんえい

昭和22年奈良市に生まれる。昭和52年、興福寺子院の菩提院住職に就任。平成元年より興福寺貫首。平成10年に興福寺境内整備構想を策定するなど、就任以来、精力的に伽藍整備に取り組む

興福寺_画像

興福寺 こうふくじ

名門・藤原氏の氏寺として奈良時代に創建。平安遷都後も朝廷で権勢を誇った藤原氏とともに、大いに栄えました。300年ぶりに復興された中金堂の一般参拝は、10/20(土)からの予定です。

  • 奈良市登大路町48
  • 0742-22-7755
  • ●JR奈良駅から市内循環バス「県庁前」下車、徒歩すぐ●近鉄奈良駅から徒歩約5分
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