巡る奈良

特別講話25祈りの回廊 2018年秋冬版

「明治天皇の御願により後醍醐天皇を祀る社」NEW 吉野神宮
宮司/東 輝明

―重厚な社殿は、近代神社建築の代表作といわれています
―重厚な社殿は、近代神社建築の代表作といわれています
東宮司
 当宮は明治22年(1889)に吉野宮として創立されましたが、現在の社殿は、吉野神宮に改称された大正時代以降に整えられたものです。明治天皇の強い思いで創建されたお社ということで、国家管理のもと、総檜造の大変立派な社殿が造営されました。明治25年(1892)には、後村上天皇(ごむらかみ)が彫られたと伝わる後醍醐天皇の御宸像(ごしんぞう)が吉水神社より遷されており、現在も本殿で大切にお祀りしております。
 参拝の方からはよく、「鳥居の前に立つと、本殿に引き寄せられるような気がする」と言われます。社殿は京都への帰還を熱望された後醍醐天皇の思いに応えて北面し、御神座(ごしんざ)から一直線に幣殿、拝殿、神門が、大鳥居をつき抜けて京都を望む配置になっております。お参りされる方からは逆に、後醍醐天皇のお力に引き込まれる形になるのかもしれません。
―明治天皇は、なぜ新たなお社の創建を願われたのでしょう
―明治天皇は、なぜ新たなお社の創建を願われたのでしょう
東宮司 
 後醍醐天皇の偉業が、明治維新の原動力のひとつとなったとお感じになられたからでしょう。武家の専横政治と対立し、鎌倉幕府を倒して天皇親政(しんせい)を取り戻した建武(けんむ)の中興(ちゅうこう)は、足利尊氏(あしかがたかうじ)の裏切りにより頓挫(とんざ)しますが、後醍醐天皇の折れない心と強い信念は後の世に引き継がれ、500 年以上の時を経て、明治維新へと繋がっていったのです。
「世治まり 民安かれと 祈るこそ 我が身につきぬ 思ひなりけれ」
 これは後醍醐天皇の御製(ぎょせい)です。建武の中興は、国の行末と民の安寧を思って起こされたものでした。討幕の過程では、大切なものを失い、天皇でありながら流罪となられるなど、大変な苦難も経験されています。何度も苦渋(くじゅう)の決断を強いられながら、それでも後醍醐天皇は、国の未来のため、すべてを受け入れて突き進まれました。そのお姿は、不撓不屈(ふとうふくつ)、折れない心を持った天皇として、高く評されています。
―後醍醐天皇を祀るお社として、特に大切にしておられることは何でしょうか
―後醍醐天皇を祀るお社として、特に大切にしておられることは何でしょうか
東宮司
 当宮がお祀りしているのは、神話に登場する神様ではなく、実際に人の道を生きられた方だということです。後醍醐天皇は、困難があってもそれを受け入れ、乗り越えていくことで、未来は変わっていくのだと教えてくださっています。その生き方は、つまづき、ぶつかりながら日々を暮らす我々とも、重なるものがあります。
 先日、後醍醐天皇に憧れるという20代の青年がお参りに来られ、「あの時代、本当の強さを持っていたのは後醍醐天皇だと思います。亡くなっても大義と信念は消えることなく、後の世に繋がった。その力に憧れます」と話してくださいました。結果だけを見るのではなく、そこにいたる経緯や、込められた思いを大切にする、とても日本らしい考え方だと感じました。
 当宮は観光コースから離れており、春秋の観光シーズンも比較的静かです。それでも、秋は紅葉が美しく、特に春は山上の混雑とは無縁に、山桜や枝垂桜を愛でていただくことが出来ます。吉野に来られたら、当宮はもとより、南朝の歴史を物語る吉野山の社寺、天川・洞川、さらに後醍醐天皇が信仰された丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)などにも足をお運びいただき、後醍醐天皇の心を感じていただければと思います。吉野の旅を、自分を見つめなおし、元気を取り戻す機会としていただければ幸いです。 
プロフィール

プロフィール

吉野神宮/宮司 東 輝明(ひがしてるあき)

1966 年、三重県尾鷲市に生まれる。
平成元年より京都八坂神社
平成10 年より熊野那智大社
平成28 年より丹生川上神社下社での奉仕を経て
平成30 年4月に吉野神宮宮司に就任

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